宗教・信仰心

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霊的に考える宗教とは

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現代はインターネットが普及し、調べたいことがあれば沢山の情報が出て来るし、質問をすれば沢山の人から回答が返ってくるといった、とても便利な時代になりました。

ただ、これだけ情報があふれてしまうと、正しい情報を識別するのが、かえって難しくなってしまいます。

特に霊的、宗教的世界は検証が難しいこともあり、信じるとか信じないという個人の判断になってしまいます。

宗教というものを考える時、その基準は『教え』というもので判断すると思うのです。

なにしろ前面に出てくるのは、こうしたものです。

ある人が「私は宗教が嫌いだけれども、聖書の哲理にうなづけるところがある」と言っていました。

確かに教えに含まれる哲理というものは、人生の指針にもなることでしょう。

それは目の前にある生き方の問題や方策で、宗教の大事なところが抜け落ちてしまっているような感じがします。

この世で生きる為には、社会の安定を前提とした生き方も、まとまりも必要です。

時代が変われば、教えの価値も薄れてしまう部分もあるでしょう。

それでも宗教というものは、道徳的なことを更に飛び越え、人間の本質に迫ろうとするものだと思うのです。

信仰とは神様や仏様に御力を頂き、連なるということを意味します。

残念なことに、神や仏といった存在と人間には距離があり、それを埋めるパイプ役が霊魂であるのに、霊魂の存在を認めない宗教者もいますし、信仰心などまるでないのに、霊的な力があるという人まで現れてしまいます。

御力とは高い気を指し、それは高級な霊魂を通じ降りて来るものであって、そうした存在を無視して得ることはできないものです。

宗教を求める理由は、はたから見れば心の弱さや依存心であるとか、現実逃避だとか言われるかもしれません。

人間は肉体のみで生きているのではなく、霊的な存在でもあることを考えると、肉体の欲求と同じように霊的な欲求があってもおかしくないし、霊的な感性が存在することも自然なことだと思います。

大昔は、皆神様を信仰していて、その意味や価値をしっかり理解していたと思えます。

やがて、現代のような物質主義による社会や、教育が感性をつぶしているように感じます。

本当の意味での宗教の価値は、神や仏の御力を受けることが出来るか。

それが一番大事で、必要なものだったのです。

人の生き方についての様々な指針や社会安定のための倫理も大事ですが、今、失われかけているのが信仰心に基づく受け皿です。

いつの時代においても人が霊的生命体である限り、魂のとしての人間の欲求を満たしてくれるものが必要なのではないかと思います。

祈りの力

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人間は肉体のみでなく、幽体という身体があります。

人が想いを発する時、幽体から幽的なエネルギーとなり発せられます。

霊魂も同じく幽体がありますから、想いを発すれば、幽的エネルギーが出ます。

霊魂は物質の世界と環境も全く違い、肉体がないので、人間が会話するようなコミュニケーションではありません。

言葉など発しなくても、以心伝心いわゆるテレパシーで交流しているのです。

「そんなのウソだろー」と思われるでしょうが、何となく相手の想いを感じたことはありませんか。

霊魂同士のようにはいきませんが、人間にも幽体があり、相手が強い想念を発すると、確実に伝わっています。

ただ、幽体から肉体の脳に上手く伝わらないから、何となくという感じになるのです。

古来より信仰や祈りによって、神様に願いが届くと考えられています。

もちろん、神様は霊的に遠い存在なので届きませんが、霊魂には伝わるのです。

現代人から見れば「何くだらないことやってんだ!」と思えるでしょうが、理にかなっていたのです。

イエスキリストが信仰とか祈りの大切さを説いたかというと、霊的な法則により、高級霊には直接届きませんが、人間の幽体の質に近い高級霊の部下に伝わることで、それを上位の霊魂に伝えることができます。

高級霊も人間に力を与えたいと思っていれば、高い幽的エネルギーを取り入れることができたのです。

想いが上に向いているかが大事なのです。

日本には、古来より修行法、霊的なトレーニングがありましたので、神主さんなどのトレーニングを積み重ねた人は、直接高級霊に想念が届きますし、オーラが見えます。

そこに人々が集まり、幽体の栄養となる高い幽気を得ることができたのです。

祈りとか信仰は、決して無意味なことではなかったのです。

人間の幽体はもともと未熟ですので、低級霊や守護霊の部下である補助霊にしか伝わらないのが現実です。

補助霊ならまだしも、悪意をもった霊魂に、想念を読まれてしまうのは困ります。

ご自身の守護霊に直接想念を発して頂けるよう、幽体の栄養を取り入れて頂きたいと思います。

人の救いは宗教にあるのか?

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霊的なトレーニングというものは、昔は、大衆的ではなく、神主やお坊さんが行っていたと思います。

もちろん、神様や仏様を示し、一般大衆の先導役となることが修行であったと考えられます。

皆、真面目な志があったからこそ、昔は神社やお寺も高い幽気が降りていたようです。

現代では、大きく変わってしまったように思えます。

神社やお寺に仕える人々の考え、捉え方も変わってしまい、一番大事なことが置き去りにされてしまった感じがします。

本来、伝統ある神社やお寺には、高い気が降り得る条件があるのに、とても残念な気がします。

ただ、参拝する側の意識も大事なので、一筋縄では行かないこところがあるのでしょう。

僕自身、昔は宗教に対し偏見を持っていたように思います。

それは布教活動に対する嫌悪感が大きかったからです。

詐欺行為も、横行していたように思います。

そうしたことも、マスコミの取り上げ方によって、一般的な風潮が作り上げられてしまうようです。

実際には、悪いことをしているのは一部であり、真面目に信仰している人達が多いのではないでしょうか。

そうでなければ、皆お縄になっているはずです。

どの宗教が良いとか悪いという判断は、人間には難しいのではないかと思います。

批判するのは簡単です。

しかし、批判するのであれば、本当のことが分かるからこそ出来ることではないでしょうか。

神道や仏教、キリスト教により、高級霊となった霊魂はたくさんいます。

大切なのは、そうした宗教により霊的成長が得られるかです。

もちろん、人間は物質世界において、生活を営むことも大事なので、そこに生き方に対する指針も必要でしょう。

多くの方は、こうした哲理をもって判断材料にしてしまうと思います。

考えてみれば、伝統が長い宗教であるなら様々な時代背景や文化、環境も違い、教えという点では、異なりを持つことは当然です。

そうした部分が焦点となってしまいますが、本当の価値は、肉体を持つ人間には、わかりにくい部分にあったのです。

霊的なトレーニング、霊魂学を知ると、イエスキリストもお釈迦様も、人々に訴えかけたかったことは共通していたように感じます。

最近では、物質科学信仰と思えるような考えを持つ方が増えているように感じますが、霊的なことを真面目に探求しようという思いがあれば、道は開けて行くのではないでしょうか。

あまりにも人間というものは、無知であることに気づかされます。

今、肉体を持ち生きている間に目覚められるかどうかで、将来を分けてしまうのが実状のようです。

生き方は人それぞれで良いと思うのですが、自分が霊的な存在であることに気づいて欲しいのです。

宗教的な姿が、本来の人間というものです。

死後、低い世界に入って苦しんでいる人、霊魂達は、決して悪人ばかりではないこと知って頂きたいと思います。

どうしてこんなに霊的環境が悪くなってしまったのか?

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このブログでも、現代の霊的な環境はとても悪くなっていると言っています。

それに伴って、邪悪な霊魂も増えてしまい、大変なことになっているようです。

世の中を、変な意味で騒がすつもりもありませんし、恐怖心をあおり立て、人の弱みに付け込み商売を始めるわけでもありません。

タイトル「霊から身を守る方を考えてみる」に書いてあるように、自分自身が霊的な力をつけることをお勧めしています。

このブログをお読みの方は、「悪霊や災難を防ぐ」「幸福が舞い込む、運気が上がる」というキャッチフレーズのグッズや、霊感商法にだまされることはないでしょう。

環境汚染といえば、空気や水などあげられますが、霊的には、空気や水のように、どこにでも存在する幽気というものがあります。

この幽気の質が悪化し、かなり低くなっています。

霊的に低ければ、当然、低い霊魂が活動しやすくなり、力を持ちます

逆に高くなれば、高級霊とされる霊魂が活動しやすくなるのです。

こうした背景には、素朴な信仰心が消えてしまったことにあります。

最近では、宗教というと押し付けがましいと捉えられるように、疑念を持つようなってしまったと思えます。

日本は大昔から、神様や仏様をいつも意識していたといえます。

生活と宗教は密着していました。

神社やお寺も身近で、大事なものであったことでしょう。

だからこそ、全国各地にたくさんの神社やお寺が存在します。

条件さえ整えば、高い幽気を降ろし、取り込むことが出来たのです。

人々が上手く生かしていたことで、現代のようにならなかったのでしょう。

大学の教授さんが真顔で、霊魂を否定したりする世の中です。

何がどれだけ分かったというのでしょう。

確かに、科学や医学の発達は、目まぐるしい変化を遂げています。

しかし、人間の神秘や内面的な解明は、どれだけ進んだのか疑問が残ります。

神や仏を否定するのであれば、高級霊が力を降ろす機会もありません。

我々肉体を持つ人間には、実感としてわかりにくいものですが、霊的な影響は物質世界に影響を与えます。

幽霊がたくさん出るようになったとか、そうした単純なことではありません。

邪悪な霊魂が増えたから、霊的環境が悪化したのではなく、人間の選択が霊的環境を悪くしているのです。

霊的不調は、幽体をダブらせているのだから、肉体にも影響します。

高級霊の作用がなければ、人間の持つ霊的カルマが、そのまま表現されてしまいます。

「気が付けなくて当然!暗躍する邪霊たち」にあるように、悪い方向にどんどん進んでしまい、事故や災害、人間の衝突も増えてしまうことでしょう。

このブログを読まれた方は、高い幽気の吸収や、高級霊の影響を受けて頂くことを願っています。

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