霊魂に関すること

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高級霊と低級霊

Image by Grae Dickason from Pixabay

霊魂の存在を認めるという方には、人間と同じく、様々な霊魂がいるということを知って頂きたいと思います。

ここで正邪善悪といった分け方をしてしまうと、複雑になりますので、高低といった表現を使わせて頂きます。

また恐怖心をあおるだけでは意味がありませんので、対策についても触れようと思います。

霊魂の本来、生活すべき世界は物質の世界ではありません。

あの世とか死後の世界といわれる所で、別にあります。

この世は、肉体を有した霊魂、すなわち我々が住むべき世界といえます。

しかしながら、どうした訳か肉体を持たない霊魂がたくさんいるようです。

霊が見えた、聞こえたという人だけに限られたことではなく、姿が見えませんので、人間は気が付かないだけで、あなたも幾度となく接触している可能性は十分あるのです。

高級霊と低級霊、これは霊的な尺度になのですが、霊的に成長した霊魂と未成熟、未発達な霊魂です。

大きな違いは、高級霊は、人間の自由意思を尊重するのに対し、低級霊はおかまいなしなのです。

もし高級霊が人間の自由意思を無視すれば、一方的に幽気を送って、勝手に引き上げることもできるかもしれません。

しかし、不幸になる権利も当然あり、人間のあらゆる自由を認めています。

高級霊にとっては、物質の薄汚れた世界は居心地も悪く、自らを汚してしまうこともあるかもしれません。

それでも人間の霊的進歩を願い、人間に関心を向けてくれるのです。

低級霊というのは見えないのを好都合とばかり、好き勝手にしています。

イタズラや人間を苦しめたり、仲間に引き込もうと考えたり目的は様々です。

もちろん、悪意を持った霊魂ばかりでありません。

子孫を心配している霊魂もいることでしょう。

いずれにしても、霊魂に干渉されるなら、高級霊であって欲しいと思います。

自分にとって都合の良いことが起きたり、霊能力が出たりするかもしれません。

しかし低級霊と二人三脚では、永遠と続くような次の人生が、必然的に低い世界になってしまいます。

こうした霊魂は、霊的な身体が未熟です。

人間が霊的に成長すると、見えにくくなってしまいます。

高級霊が背後にいれば、怖くてイタズラも出来ないのです。

大きなリスクを伴うのであれば、別の人を探す方が得策です。

たとえ相手が見えない存在であっても、自分が霊的に成長すれば、全く心配はいらないのです。

霊現象に悩まれていた方で、真面目に霊的トレーニングを行うことにより、霊的な現象が無くなった、という声も多く聞かれております。

霊魂と異なる人間

Image by Victoria_Regen from Pixabay

霊魂と物質の世界に生きる人間の大きな違いは、我々は、肉体という身体に入り込んでいることです。

肉体を持っていると、霊的ことがよくわかりません。

それは肉体が物質の世界に適した身体だからです。

この肉体にとらわれてしまうと、人間の本質が見えなくなってしまうのです。

脳は確かに複雑かつ精巧で、肉体の中枢です。

人の心に対する影響も大きいでしょう。

しかし、それは肉体の中枢でしかなく、人間の実質に迫るものではないのです。

脳の科学も車の運転席を調べることに夢中で、ドライバーの存在をまるで考えていないようにも思えます。

肉体が生まれる以前にすでに幽体があり、そしてその一部が再生し人間が生まれ、肉体を失うと幽体であの世の生活がはじまります。

こうしたことを考えると、肉体は一時的な身体でしかないことがわかります。

もちろん、幽体もあくまで身体でしかないのです。

難しい話を好まれる方は「霊魂学を知るために」で続きを読んで頂きたいと思います。

人間はもともと幽界で生きる霊魂だったのです。

ことさら不自由のない田舎に住んでいた純朴な若者が、都会に憧れ村を飛び出し、都会で傷つき苦しみ、変わり果てた姿で帰って行くようなものです。

霊的な世界は、自由な世界で肉体に拘束されることなどありません。

働くことも寝ることも、食べ物を奪い合う必要もなく、死別することもないのです。

本来はこうした世界です。

ところが、霊魂が人に生まれてしまうと、どうでしょう。

常に競争し奪い合い、差別し憎み憎まれ、そして念により傷つき傷つけられ、お互い幽体は損傷し心理を歪めてしまうのです。

Image by Anne Lanute from Pixabay

霊的世界では起こらならないようなことが必然的に起きてしまうのが、この地上といえます。

その経験や記憶を有して、もともとの霊魂の姿と別人のようになって、あの世に戻って行くのです。

そして、物質世界の延長戦を繰り広げてしまうのです。

「じゃぁ、生まれなきゃいいじゃん!」そうなんです。

でも、どんどん生まれて来てしまうのです。

霊的カルマを抱えた幽体の一部が地上に誕生し、その霊的カルマに影響され更に深い霊的カルマとなってしまい、そして不幸を嘆くのです。

この負の連鎖を断ち切る必要があるのです。

生まれて来るのが悪いのではなく、生まれて来ることにより霊的成長につなげれば良いのです。

それを霊的トレーニングが可能にします。

気が付けなくて当然!暗躍する邪霊たち

Image by Gerd Altmann from Pixabay

人間は肉体を持っているので、霊的なことがわかりづらく、霊魂の姿も見えません。

低級霊は、困ったことに争いや犯罪といったものにも加担しているのです。

もちろん、霊魂ですから直接行うことはできません。

人間に想念を飛ばし「もっとやれ! もっとやれ! 」とけしかけたり、思いを助長させたりしているのです。

確かに、我々人間も反省しなければなりません。

悪いことは全て、低級霊の仕業と考えるのは間違いです。

やはり、きっかけは我々人間の持つ未熟な部分があるからです。

人が思い通りになったり、慌てふためく姿がおもしろくてたまらないようです。

こんなことを生きがい(霊魂だから死んでいますが)にしているのは、人間にとって非常に迷惑な話です。

それでも、哀れな霊魂であるようにも感じます。

物質界に未練や郷愁があるのかも知れません。

地上で生きていた時は決して極悪人ではなく、ごく普通の人もいるのです。

もっと、上の世界に入れたなら、霊魂本来の自由で楽しい生活となっていたのでしょう。

死後の世界が幸福に満ちていれば、わざわざ地上に降りてくる理由などないからです。

低い霊魂を高級霊は諭したいと思っているようですが、霊的な法則がネックとなっていたり、人間の自由意思を尊重すれば、そうした霊魂と仲の良い人間を無理やり離すわけにもいかないのが実状のようです。

人類の歴史において、こうしたことが繰り返され、さらに不幸な霊魂が生まれてしまうのです。

今生きている人間の想いや意思、これが重要のように思えます。

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