低い幽気に唖然とした駅前ロータリー
これは20年以上前になりますが、契山館の神伝禊法の初伝合宿の帰りのことです。
地元の駅の階段を下りてロータリーに出たのですが、何とも言えない嫌な感覚を感じたのです。
その日は天気も良く、普段のように何の変哲もない風景でした。
考えてみれば神伝禊法の研修は三泊四日行いますので、その間、高い霊的空間で過ごすことになります。
そうした状態から、現実に引き戻されてしまったような霊的ギャップを感じたのだと思います。
霊的トレーニングを行っている方は、こうした経験はお持ちだと思います。
研修では、幽体という霊的身体が高い幽気に馴染むようになるので、低い幽気に違和感を覚えるのでしょう。
昔、結婚式場を探していた時、簡単に済ませようと思い、教会式の式場を回っていました。
ある式場で、教会の扉の前に立った瞬間、とても嫌な感覚で中に入る気もしませんでした。
係りの人によると、普段は信者の方が礼拝に使っていると、まるで格式があるように話していました。
何でこんなになってしまうのか、とても残念に思いました。
そして、別のいい加減そうな式場で、塾の英語教師のような牧師さんに見守られ、滞りなく結婚式を済ませました。
低い幽気はどこにでもあるので、あまり敏感になり過ぎると社会生活に支障をきたしてしまいます。
この世において低い幽気に接したり、他人から念を受けてしまうことは日常的なことなので、霊的トレーニングを続けることが大切なように思います。
静かな川辺に独特の幽気がとどまっていた
僕はギャンブルはやらないのですが、友人が競艇場に連れて行って欲しいと言われ、車で連れていってあげました。
レースが始まっていない早い時間だったので、ひと気もまばらでした。
時間もあったので、散歩がてらレースの行われる静かな川辺に出てみたところ、後ろにそり立つ観客席には人はいないのですが、怒号が聞こえるかのような人間の欲望と失墜が渦巻いているかのような感じを受けました。
こうした場所には、特有の幽気がたまっているようです。
ある時、友人の付き合いで、精神科の病院にお見舞いに行きました。
そんなに古びた病院ではなく、比較的きれいな感じでしたが、何と病院内が煙っているような圧迫を感じるような状態です。
こうした病院に勤めている人は、毎日こんな環境で仕事をしなければならないのだから大変だなと思いました。
霊的なトレーニングを行っていなければ、霊的な不調になってしまうのではないかと感じます。
たまに、他人の家や車に入った時、ムッとするようなことがあります。幽気というものは、土地や家にとどまっていたり、物品などにも付着します。
そうした低い幽気があると、低い霊魂が寄って来てしまうことさえあります。
そのような場合は、祓いというものが有効です。
ただ、本格的な祓いになると、霊的なトレーニングを積んだ霊力のある方でないと効果は見込めません。
僕は普通の一般人ですが、霊的なトレーニングを行い、祓い講習を受けてからは、引っ越しの時や、他人の使用した中古品を買った場合などにも行えます。
また友人から祓いを頼まれますが、「なんだかスッキリした」と言って、とても喜ばれています。