動物は想念を発するし、植物にも意識がある!?
タイトル「飼っているペットは死んだらどうなる」で触れましたが、動物も霊的生命体であり幽体という身体があります。
長く犬を飼い続けていると、不思議なこともあります。
家の中で犬を自由にさせているのですが、ある日ベッドの上に黄色いシミがありました。
それを叱ると、直感的にですが、犬が否定しているように感じたのです。
その犬は、毛で目が隠れてしまうので目からは気持ちは読み取れませんし、しぐさからではなかったと思います。
よくよく考えてみましたら、大型犬ですのでオシッコにしてはシミが小さかったので、どうも吐いてしまったようです。
僕はドリトル先生ではないので、動物と会話できるわけでもありませんが、時々、動物も想念を発しているのではないかと感じることはあります。
以前、山に仕事で出かけ、手を伸ばした先にヘビが木の枝にからみ付いていたのです。
びっくりして手を引込めましたが、そのヘビは僕を怖がる様子もなく笑っているようでした。
50才を過ぎたいいオッサンが、何バカなことを言っていると否定される方も多いと思いますが、自分の中では忘れることのない印象に残る体験でした。
日頃、僕は植物を扱う仕事をしています。
さすがに動物のような体験はありませんが、植物にも相性があるように思えるのです。
同じ種類の植物同士を密植させても、すくすく伸びるのですが、異なる種類の植物を側に植えると、いじけて避けるように縮こまってしまう植物もあります。
別に日当たりが悪くなるわけでもなく、南側に植えているにも関わらずです。
また、つる性の植物などは、まるで目がついているように絡みつくものを探しているように伸びて行きます。
植物というものも、よく観察していると意識を持っているのではないかと感じさせてくれます。
霊魂学の見解では、植物も幽体があり、意識を持っているようです。
もちろん動物とは違い、意識を表現する手段は限られた身体ですが、よく植物に音楽を聞かせたり、人間が話かけていると、より成長するようなことも聞きます。
それでも、人間は動物や植物を殺して生きてゆかねばなりません。
そうした動植物の犠牲の上で自分の人生が成り立っていることも忘れてはならないことでしょう。
宗教などでは、そうした食べ物に感謝すること重んじますが、霊魂学では同じ霊的生命体として、そうした犠牲を自分成長につなげることが大切のようです。