想念

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念の力

Image by Engin Akyurt from Pixabay

最近では、あまり念力という言葉は聞かなくなりました。

僕が子供の頃は、超能力ブームであったこともあり、テレビ番組でも頻繁に取り上げていました。

今はあまり語られないだけで、実は念力は存在しています。

こんなことを言うと、時代に逆行していると思われてしまいますが、スプーン曲げもテレパシーも肯定しています。

もちろん、やらせやトリックも多くあった事でしょうが、霊魂学の観点から可能と考えています。

ただ、肯定はしますが、興味はないのです。

スプーン曲げも念力で曲がるというよりも、念の力によって間気を操作するのです。

念というものは、幽質なので物質には直接作用しません。

ところが間気は物質と幽質の中間的存在なので、これを利用すると物質に変化を与えたり、物を動かしたりすることができるのです。

さらに霊魂が加担すると、さらに不思議なことが起こります。

反面、こうしたことを行うと霊的不調になるばかりか、超能力とか霊能力を求めている人を、低い霊魂が物色していて、格好のえじきとなってしまうのです。

霊的な意味で考えると、暗い方向に人生を大きく変えてしまいます。

念の力というものは幽質なので、物質に直接影響はなくとも、幽体に影響を与え、それが肉体に現れてしまう場合があります。

念の力は、実に人生に大きく関わってくることなのです。

今の時代、いわゆる超能力をつけても人は信用しないし、間気の技などあまりにも地味すぎて、物理学で別のやり方でも簡単に出来てしまえば、笑い者になるだけです。

そうであれば、もっと意味や価値のある霊魂を探究した方が、より良い方に人生を変えることができると思います。

念の影響

UnsplashAmel Majanovicが撮影した写真

タイトル「祈りの力」にありますように、人が発する念には幽的エネルギーがあります。

一方では、霊魂と交流し霊的な栄養を取るために有効でありますが、強い念は相手の幽体に衝撃を与えてしまうほど恐ろしいもで、想いや念は、まさにもろ刃の剣といえます。

いろんな人の霊的調査を聞くと、多くの方の幽体が、そうした念により損傷しているようです。

複雑な人間関係、様々な意見や考えを持っている人が、同じ社会の中で生活しているわけですから、むしろ当然のことかもしれません。

ただ、死後の世界は、幽体の質や状態で行くべき世界が決まってしまうので、お互い気付かないうちに、足の引っ張り合いとなっているようにも思えます。

強い怒りや憎しみ、恨みの念を、出さないように心がけることが大事なのでしょうが、腹が立てば、怒りたくもなるし恨むなと言われても、どうしても恨んでしまうものです。

忘れたくても、憎いアイツの顔が脳裏に浮かんでくるし、考えたくないと思っても、執着してしまうのが人間ではないでしょうか。

僕も偉そうに他の人に、どうのこうの言えるほどの人格でもないし、寛容でもありません。

ただ、対応策は理解しています。

幽体は修復可能で、強くもなり、念の質さえ変えることもできるのです。

有限な肉体と違い、幽体は柔軟性を持っています。

幽体の傷は霊術で対応することもできますし、幽体を強化すれば、同じ念を受けても影響は小さくなってしまうのです。

幽体に力があるとは、肉体の体力と同じで、抵抗力や免疫力がアップし、病気にかかりにくくなったり、自然治癒力が増すのと同様に、幽体の損傷が自然と修復されてしまうのです。

念がなぜ人の幽体を、そこまで損傷させてしてしまうかといえば、念の質が荒い、低いという点にあるのです。

念の質は幽体そのものにあるのです。

幽体を成長させることで念の質も変わってきます。

幽体を成長させれば、高級霊と交流できるように、念の質も高く変わってきます。

逆に低級な霊魂からは、想念が読み取りにくくなってしまうのです。

行き着くところが、やはり幽体を強く成長させることが、何よりもの対応策ではないかと思います。

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