霊的真実

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霊的真実に迫る

Image by Daniel Reche from Pixabay

人間が霊魂であるならば、霊的な真実を探ることはとても大事なことではないかと感じます。

ところが残念なことに、霊的分野においても商業主義に走り、大きく曲げられてしまっているのが現状ではないでしょうか。

もちろん、何をするにもお金が必要な社会ですので、綺麗ごとは言わないけれども、嘘や偽りがまかり通るような世の中であって欲しくはありません。

そのためには、多くの人が正しい認識を持つことが大切に思えます。

人々が霊的なことに対し、真面目に関心を持ち、真実と向き合おうというのであれば、本物が存在感を増し、偽者やインチキは姿を消して行くことでしょう。

霊的な現象も、恐怖体験といった、お盆の風物詩ばかりではありません。

もっと知っておくべき霊的なことが、たくさんあります。

お坊さんは、もともと弔いだけの役割やお墓の管理人ではなく、本来神社も、どこそこに○○のご利益があるとか無いとかではなく、いずれも本来は高い幽気が降りる環境が保たれ、そこに求める人達が集っていたのです。

確かに施設を維持していくためには、お金がかかります。

だからといって何も知らない人に対してのご機嫌取りばかりでは、人間の霊的な成長を阻害し、後退させてしまうことにつながります。

黄門様の歌にもあるように、♪人生幽気が必要だ~。

霊的真実を知るには

Image by Tabea from Pixabay

人間は霊的なことに盲目です。わからないことばかりです。

それは肉体を持ち生活しているからといえます。

霊的世界のことは、人間がどう頭をひねっても答えを導き出せないのです。

わからないことは、あれこれ考えるのはやめしょう。

霊的なことはれいこんに聞いてみよう!なのです。

では、肉体を捨て霊魂になると、様々なことがわかり得るかといえば、そうでもなさそうです。

もちろん、肉体を失い幽体で生活しているので、肉体との生活の違いや身の回りのことは実感として理解できると思います。

が、霊的世界においては住む所が限定されてしまい、まわりも同じような霊魂ばかりとなってしまいます。

地上でフラフラしている霊魂など、もってのほかです。

未熟な霊魂からの通信は、あまり参考にならないのです。

幽界でも上の世界に入れば、さらに進歩し向上する霊魂もおりますので、こうした霊魂は当然意識も変化しますし、勉強や経験を積むことで、知識や理解を深めています。

進歩した霊魂は、あの世で修行していたのです。

このように霊魂も様々で、実際に霊媒現象による霊魂からの通信であっても、努力や勉強をしている霊魂もいれば、遊び回っている霊魂もいるので、同じ内容に触れても異なる見解になってしまうのです。

人間というものは、霊的には未熟で、通信相手の霊魂も限られてしまいます。

西洋における霊魂からの通信も、幽体の霊魂が限界だったのです。

霊魂学でいう守護霊という存在は、高級霊だと言っておりますが、更にその上の霊体の霊魂が存在します。

霊的に高度な内容になると、幽体の霊魂では分かり得ないことがたくさんあるのです。

ここで霊的なトレーニングが、力を発揮するのです。

幽体はもちろん、霊体という高貴な身体まで成長させることが出来るのです。

これにより、霊体の霊魂の通信が可能となるのです。

日本には古代よりこうした修行法、トレーニングがあり、高度な思想を降ろしていたと考えられます。

近年、西洋の霊界通信というものに興味を持たれる方も多いと思いますが、この日本に目を向けてみてはいかがでしょうか。

さらに詳しく解説しているページをリンクしておきます。 霊をさぐる 霊魂と交信する技術

古代の日本神道の復活、復古精神

Image by Monica Volpin from Pixabay

日本は大昔から、霊的なトレーニングの国だったのです。

いつの時代でも、この国にはどこかに達人がいたようです。

もちろん、求める強い気持ちがあれば力を得られる、そういった霊的環境にあったと思います。

最近スピリチュアリズムという言葉をよく聞くと思いますが、今から100年以上前に西洋で、心霊研究というものが盛んに行われていました。

霊魂の思想を表現する霊媒現象や、霊的な物理現象を学者なども加わり検証していました。

その頃の思想が、現代にも引き継がれています。

同時期、日本においても幕末から昭和にかけて、既存の伝統的宗教というものから逸脱し、独自の観点、新しい宗教思想を持つ、いわゆる新興宗教がたくさん登場しました。

西洋のように、霊媒現象を研究する試みもあったようです。

人間の神秘や霊魂の実在、死後の世界の探求に拍車がかかったことは、大きな価値があったと思います。

それでも、西洋や日本においての研究に一貫性があり、霊的世界について、皆同じ意見や見解を持つというのであれば良かったのですが、比較してしまうと相違点が生じ、結局は集約されずに分散して、それぞれ一思想ということになってしまい、客観的な説得力につながらなくなってしまっているように感じます。

皆、真面目に取り組んだと思いますが、欠けていたものがあったのです。

それが霊的なトレーニングです。

高級な霊魂の思想のみを表現するような、霊的な身体の強化発達という基礎がなかったために、様々な見識や見解が生まれてしまったのでしょう。

霊媒現象も、一度でも低い霊魂を憑依させてしまえば、もう二度と高級霊はかかって来ません。

Image by Hans from Pixabay

低い霊魂の幽気に、どっぶりつかってしまうのです。

基礎を怠り技ばかりに走ってしまうと、こうしたことが起ります。

霊媒現象は、とても危険な行為なのです。

この時期に唯一、日本において霊的なトレーニングを行い、独自の霊魂学や修行体系をつくられた、川面凡児先生がおりました。

あまり一般的に有名ではありませんが、川面先生が作成した水の禊というトレーニングは、神社神道で採用され広まったようです。

古事記に記されている禊法という、いにしえのトレーニングを復活させた立役者といえます。

こうした霊的なトレーニングの勃興が、太古に輝いた日本の霊的文明を蘇らせることが可能となるのです。

肉体を持ち苦労する人間という名の霊魂

Image by David Mark from Pixabay

この世は、まるで型にはめられたような生活をしなければなりません。

子供の頃から勉強を強いられ、やっと学校を卒業して自由になれるのかと思うと、今度は仕事をする必要があります。

会社に入れば、嫌な上司に逆らうことも出来ず、言いたいことも言えず我慢して、お客さんには別におもしろいわけでもないのに笑顔でペコペコ頭を下げて、家に帰ればぐったりです。

自営業も大変です。

景気が悪くなれば、仕事は少なくなり、そのうえ単価は安くされ、借金も増えてしまい、何とかやり繰りしているという方も多いのではないでしょうか。

女性も正社員で雇ってもらえないし、子供を持てば、あらぬ出費がかさむし、ちょこっとパートに出ても時給は安く、家事に追われ、やっと一息ついて時計を見れば、夜も遅く、明日の為に睡眠も取らねばなりません。

それに病気やケガも心配です。

自分だけではなく、家族のことも気がかりです。

それは、全て肉体を持っているからです。

お金がなければ食べられないし、無理して働けば体を壊してしまいます。

とても厄介な身体です。

同じような毎日の繰り返しに嫌気もさしますが、ゆっくりできると思ったら、死が目前です。

肉体の死を哀れんでいるのは、我々だけのようです。

確かに身近な人がいなくなるのは、辛いことです。

人間にとって死とは、一大事です。

そうした我々も、もともと霊魂で人に生まれ、肉体を失えば、また霊魂になります。

肉体の死とは、一通過点です。

肉体を持って生きている時間など、永遠と続くあの世の生活に比べれば、ほんの少しのようです。

もちろん、僕だって死を体験したことがないので、わかったようなことを言うつもりもないですし、痛いのは嫌ですし、なるべく辛いことは避けたいと思っています。

こうして考えると、もっと霊魂や、あの世について真面目に語られて良いと思います。

この世で苦労して、さらにあの世でも苦しむのでは散々です。

わからないから無いと決めつけるのではなく、全ての人が魂も霊的身体を持っているのだから、霊的存在であるという実感は得られると思うのです。

もっと柔軟に捉えてもらえれば、だんだんと真実が明かされるのではないでしょうか。

あの世(死後の世界)でやさしい霊魂

Image by RENE RAUSCHENBERGER from Pixabay

幽界という霊的世界は、タイトル「気になる霊的な気」でお話したように、高い世界と低い世界に分かれています。

低い世界は、とても辛い世界のようですが、比較的上の方に入れた霊魂は、どのような霊魂なのでしょうか。

我々人間は、肉体で生活していますので、肉体を維持するための欲求があります。

むしろ当然といえますが、そうしたものに振り回されてしまう傾向にあります。

今肉体とダブっている死後使用する身体である幽体は、肉体とは異なり、食べることも寝る必要もないようです。

そうなると、生活のためお金を稼ぐこともないし、好きな時に好きなことをしていれば良いことになります。

霊的世界は、幽体という身体の質や状態で住むべき世界が決まります。

高い環境に馴染める身体であれば、その身体に応じた意識となるので、当然低い世界の住人とは意識も違います。

低い世界に入ってしまうと、なぜ辛いかといえば、学校や会社という集団の中で、いじめが起きるように、この世の人間関係ならぬ霊魂関係があるため、弱い者は、とことんいじめられ、強い霊魂の命令は従わざるを得ないのです。

これとは対照的に、高い環境に応じた意識を持つ霊魂は、新参者である弱い者を、いたわる気持ちを持っているようです。

古今東西、宗教における死後の世界観は、神や仏から遠い世界は痛みや苦しみの絶えない世界で、近づくことで極楽や天国と呼ばれています。

神や仏に近づくには、高貴な存在から力を得ることでしかないからです。

その方策が、仏教でありキリスト教や諸々の宗教であったのです。

こうして宗教には、高貴な存在を欠かすことはできません。

宗教の意味や価値が様々な形で取り沙汰されていますが、そうした高貴な存在からの力を得ることができるかということが重要になります。

ご参考になるページをリンクしておきます。

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