死後の世界のことは霊魂に聞くしかない!
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霊魂の存在を信じる方であれば、死後の世界はどんな所なのか気になるでしょう。
我々もいずれ他界することになりますので、出来ることなら知りたいものです。
世の中には、「死後の世界を見た」という証言もあります。
臨死体験や体外離脱、夢の中で見たとかいろいろあるでしょう。
しかし、こうしたものは人間の証言です。
肉体と幽体はダブっています。
幽体が完全に分離してしまうのが、霊的な意味での死というものです。
生き返ったということは、完全に分離したとはいえません。
仮死状態、間気というものでつながっているからこそ、蘇生が起ります。
あくまで“死後”というのであるからには、生き返ったのなら霊的な意味で、死んでいないということになってしまいます。
人間は霊的存在である以上、多少不思議なことがあってもおかしくありませんが、死後の世界を見たとか、行って来たとか、ほとんどそんな気持ちになっているだけです。
どんなに科学や技術が発達した現代においても、ちっとも前進しないのが霊的分野です。
むしろ、無神論や唯物論が増え、霊的世界も商業主義に走り、後退しているかのように思えます。
死後の世界があるのか無いのか、議論しているのは肉体を持つ人間だけです。
それは、肉体を持ち生きていることにより、霊的なことが良くわからないようになっています。
こうしたことを前提とせず、頭で考えてしまうからこそ、あの世に対する見方が物質的であったり、都合よく解釈されてしてしまうのです。
このような考えが蔓延してしまっているのが現実です。
やはり、死後の世界の住人である霊魂に聞くのが、何より信用できる証言ではないでしょうか。
もう、これしかありません。
死後の世界について霊魂から証言を得るには
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タイトル「死後の世界のことは霊魂に聞くしかない!」にありますように、人の身では、死後の世界のことは良くわかりません。
そうなると霊魂から聞くしかないのですが、それには様々な問題があるのです。
皆さんご存知ですが、人と霊魂では人間同士のようなコミュニケーションはとれません。
では、どうすれば交流が持てるのか?
こうしたことは、太古より大きなテーマであったし、試みられてきました。
人間の神秘、霊的真実を知りたいとう思いは、人間として自然な発想だったのでしょう。
現代においては、こうしたことを否定する傾向にありますが、人が肉体のみで生きているのではなく、人間が霊魂でもあることは、人類誕生以来、何も変わっていないのです。
多くの方に、霊的な探求心を持って頂きたたいと思います。
霊魂にも、霊的に低い霊魂と高い霊魂がいます。
地上をさまよっているような低い霊魂の主張など、やれ先祖霊がどうしたとか、昔の宗教格言でも引っ張り出し、もっともらしいことを言うのが関の山です。
それは、低級霊は物質界に執着し、全く修行もしていないので、難しいことは良くわからないからです。
高級霊とされる守護霊ですら、幽体の存在なので難解なことは知りません。
そこで更に高級というか、高貴な霊魂に聞くことがより真実といえます。
こうした霊魂は霊体という高級な霊的身体で活動しています。
人間にも霊体という霊的身体もありますが、あってないようなものです。
そのまま交流することなど不可能です。
霊魂との交流は物質的な肉体を使うのではなく、肉体と共存している霊的な身体を使うのです。
ただ、我々の霊的身体は未熟です。
そのままでは、低い霊魂としか交流し得ません。
お釈迦様やイエスキリストといった特別な魂でも、人間として地上に生まれてしまうと、霊的身体は未発達です。
こうした達人も実は、霊的なトレーニングを行ったのです。
そこで高貴な存在と交流が持てるように、人間の側が、意図的に霊的身体を強化発達させることが、まず基本です。
それが出来てから、初めて古神道にある「帰神法」というような、高度な技を行うのです。
日本という国は、大昔から、こうした高度な霊的なトレーニングが存在していたのです。
歴史に残っているところでは、「魏志倭人伝」の記述にある、邪馬台国の卑弥呼という神がかりの達人もいたようです。
何でもかんでも霊魂からの通信が正しいとは限りませんし、霊魂の思想を表現する人間の側も特別な訓練をしないと、本当のことはわからないのです。
あの世(死後の世界)で低い世界に入ってしまうとこうなる
動物と人間では、魂の仕組みが違うと「人間から動物への生まれ変わり」でお話しましたが、人が物質の世界に生まれたことにより、肉体を保持して行くために霊魂としての質を下げてしまうことにつながったようです。
本来、幽界という霊的世界は物質の世界と異なり、食べるたり寝る必要もない身体で、とても自由な世界です。
ところが、肉体を持つことにより霊的に盲目となり、動物や植物を食べることが必然とされ、様々な欲望が人間同士の争いや対立を生み、死という霊的世界ではない現象を経験し、それに伴う痛みや苦しみを味わう破目になってしまいました。
人間は本来霊魂であるため、こうした影響が霊的身体や心理まで歪めてしまったといえます。
肉体を持つ以上、物質的な生き方は仕方がないのだけれども、霊的存在でもあることを見失ってしまうと、霊魂となった時、思わぬ事態に気が付きます。
地上で生きていた頃の対立や争いを、そのまま霊的世界に持ち込んでしまうのです。
肉体を持つ人間であれば、身体を保持するために食べることや寝ることも必要なので、四六時中争っているわけにも行かず、疲れたり、いつか終えんを迎えます。
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ところが幽界という世界、幽体という身体は肉体と異なりますので、際限なく争いが続くような、恐ろしい世界だそうです。
自由な世界であるがゆえ、物質の世界以上に残忍さを増してしまうのでしょう。
そうした世界に入らないように、死ぬまでに準備しておく必要が、人間にはあったのです。
そうしたものを怠ってしまった結果が、そうした世界を作ってしまったようです。
いつの時代も、誰かが死後について語っていたし、人は必ず死を迎えるのだから、真面目に捉えていれば、不幸は避けられたようにも思えます。
ご参考になるページをリンクしました。
霊魂に教えてもらった この世の常識がくつがえるあの世とは
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昔から宗教において、悪いことをすると地獄に落ち、善いことをすると天国に行けると言われています。
確かに我々人間にとって、理にかなっているように思えます。
ところが、タイトル「気になる霊的な気」で触れたように、地上における善悪で、死後の世界が成り立っているのではありません。
もちろん、多くの方が納得の行かないところもあるでしょう。
こうした考えも、当然の発想のように思えます。
ただ、これは肉体を持ち物質界に生きる人間にとっての善悪です。
物質界においては、肉体も弱いものですし、資源も限られています。
命は大切にしなければならないし、限りある資源は大事に使わなければなりません。
人の命を奪ったり、他人の物を盗むのは悪いことです。
では、人が死ななかったらどうでしょう。
食べなくても大丈夫なら、無理に働く必要もありません。
必要なものは、ドラえもんに頼まなくても、自分で思った瞬間現れます。
電車や飛行機に乗らなくても、瞬間移動も可能です。
疲れることもないし、お金の価値もありません。
殺人は起きないし、取った取られたと大騒ぎする必要もなく、好きな時に好きな事をしていれば良いのが、あの世です。
根本的な環境、身体が違うのです。
となれば、物質界における常識は、全く通用しないことになってしまいます。
物質の世界とあの世といわれる幽界において共通しているのが、人間には見えない霊的作用や影響です。
人間の肉体とダブっている幽体は、食べたりしなくても生き続けています。
しかし、非常に未熟でもあり、他者からの念や幽気というものに、知らないうちに影響を受けています。
そのまま放置してしまうことで、馴染みやすい、相応しい世界にしか入れないのです。
そこには、とても恐ろしい先住民の霊魂がいるのです。
そうした低い世界に入りたくないのであれば、地上の善悪は別と考え、幽体に力をつけて健全にしておくことで、幽体に相応しい世界に行くことができます。
この世の財産、知識や名声も、あの世では通用しません。
唯一あの世に持ち越されるものが、今ある肉体とダブった幽体です。
ご参考になるページをリンクしておきます。
霊的成長ってどういうこと? 実は体にあらわれる
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もちろん、肉体に出て来るということではありません。
誰でも肉体は、いずれ無くなってしまいます。
人間が死んで何か残るものがなければ、全て終わりです。
それでも、何か存在するなら生命活動が継続していることになります。
一般的に魂とか呼ばれる場合もあります。
霊魂学における魂は、さらに大きく複雑になりますので、ここでは幽体と呼びます。
この幽体は、生まれる前から、そして死んでも、なお存在しています。
我々人間は、霊的なことが良くわかりません。
それは、肉体を持って生きているからです。
霊魂が、あるとか無いとか、もうこの辺で終わりにしましょう。
そんな議論は、大昔から行われていました。
肉体である人間に、わかるかどうかという議論になるのです。
物質でないものを、物理的な次元で、どう表現出来るというのでしょう。
肯定的な見方をして頂けるのであれば、いろいろ方策はあります。
しかし、根底から疑念を持っている人には、「死んだらわかるから」としか言えません。
ただ残念なことに、死んでからでは取り返しのつかないことがあります。
肉体がなくなり、これから死後の世界で生活が始まるというに、幽体に力もなく弱っているのです。
この物質の世界は、ただ生きているだけでは、幽体にとっては悪影響ばかりです。
昔は宗教的で信仰心を持っていたので、幽体に好影響を与える機会もありました。
現代においては、霊的環境も悪く、宗教といえば、うさん臭いと呼ばれてしまいます。
互いに、足の引っ張り合いで幽体が弱り切っています。
こうした世の中では、進んで意図的に幽体に力を付けるしかありません。
死後の世界である幽界において、様々な霊魂がいます。
高級霊と低級霊の違いを簡単にいえば、幽体です。
幽体の質や状態が異なっています。
霊的な成長が、幽体そのものに現れているのです。
幽体に力があれば、世間一般に言われているオーラなどではなく、本当のオーラが強く発します。
死後の世界において、自分の幽体が、どの世界に馴染めるかは、幽体の質や状態に現れているのです。
それが霊的世界の法則というものです。
亡くなった方を悪く言うのは良くありません。
しかし、みんな天国に行くなどあり得ないことです。
なぜなら、我々人間は、地上という霊的に低い環境で暮らしているのだから…
教えて!亡くなられた方(死んだ人)に逢いたい
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人間は、死というものを避けて通ることは出来ません。
好きだった人との別れは、大変辛いものです。
亡くなられた方に逢いたいと思うのが、人情でしょう。
亡くなった方を呼び出し、霊媒を通じて話しが出来るという人もいます。
しかし、他界した特定の人を呼び寄せることはできないようです。
薄情なことを言うようですが、出来ないものは出来ないと言うべきに違いありません。
出来ないことを、あたかも出来るというのであれば、ある意味、真面目な依頼者をバカにしているとしか思えません。
死後の世界は、広大です。
特定の方を呼びたすことは、至難の技です。
それでは死後の世界から、特定の霊魂を地上に呼び出すことはできないのなら、「自分が死んだら、好きだった人に逢えるのか」というわずかな希望が残ります。
これは、微妙です。
なぜなら、霊的な法則というものが存在します。
タイトル「霊魂に教えてもらった この世の常識がくつがえる あの世とは」でお話したように、我々が死後行くべき世界は、上下というか高低に分かれてしまうのです。
同じ幽界ではあるのですが、離れているだけでなく、行き交うことすら難しい世界なのです。
好きだった人が上に行き、自分が下に入る、またはその逆の場合でも、巡り会うことは無理です。
しかし両者とも、上の世界に入れば、その可能性が残されます。
霊的な成長度合いが近いのであれば、先輩の霊魂に探してもらえる場合もあるようです。
また、霊的な成長に違いはあっても、とりあえず上の世界に入ったならば、相手に成長度合いを近づけることで、逢えることが出来そうです。
本来、皆が上の世界に入れれば良いのですが、現実は甘くないようです。
とりあえず、好きな人だけとでも、あの世の上の世界に入れる準備をしておくことが必要でしょう。
そうすれば幽体という霊的身体は、肉体のように死にませんので、ずっと一緒にいることも出来ます。
本当は、辛い思いばかりするような物質の世界など、生まれて来なければ良かったのですが、生まれてしまった以上、仕方がありません。
霊的に成長することにより、霊魂としての自分自身に、喜びや満足を与えてみてはどうでしょうか。
飼っているペットは死んだらどうなる
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僕もずっと犬を飼い続けていますが、可愛がっていたペットとの別れは辛いものがあります。
人間と同じく、動物にも幽体という霊的身体があります。
死後は霊魂の世界に入ります。
うちでオールドイングリッシュという犬を飼っていましたが、不思議なことがありました。
オーラと呼んで良いのかわかりませんが、僕はそういったものを感じやすかったこともあると思います。
霊的に変化があったようなので、興味があれば「犬も霊的に向上する!?」で紹介していますので読んでみて下さい。
人間と動物では、霊的メカニズムの違いから人から動物へ、または動物から人間に生まれ変わることはありませんが、動物も霊的生命体である以上、霊的影響を受けるようです。
ご人身が霊的成長を遂げることで、家族やペットにも良い影響につながることもあります。
人間とペットの絆が出来ているので、さらに霊的向上が得られれば、他界後、桃太郎の家来の動物のように、眷属と呼ばれ霊的な仕事を任せられるようなこともあるようです。