幽霊はいない!?
このブログでは、さんざん霊魂を連呼しているくせに無責任なことを言うな、と怒られてしまいそうですが、実は幽霊はいないのです。
最近では、幽霊ではなく「霊を見た」というように「霊」という呼び方が主流のようです。
人間は、幽体の存在である霊魂は見えないようになっています。
もちろん、本当に幽体そのものを視覚できる幽視能力がある人もいるかもしれませんが、こうしたケースはごく稀であると思います。
多くの場合、それが錯覚でない霊現象とするなら、いたずらな霊魂そのものを見たのではなく、霊魂が作った「人の形をした作り物」を見たという表現が適切なのです。
簡単に説明すれば、人間は肉体と幽体がダブっています。
それには肉体と幽体を、くっ付いていなければなりません。
その接着剤的な役目をしているのが、霊魂学でいう間気と呼ばれるものです。
霊的な気でありながら、物質に作用できるのです。
西洋の心霊研究においてはエクトプラズムと呼び、心霊実験で、霊媒の身体から外部に漏れたエクトプラズムを利用し、霊魂が人の顔を作り出す。
このような現象が写真撮影されたようです。
写真の信憑性については責任が持てませんが、幽霊現象のメカニズムはこうしたものです。
この間気をいたずらな霊魂が利用することにより、人間に霊的な物理現象を起こすことが可能なのです。
物を動かしたり、音も出せるようです。
いたずらな霊魂は、間気が漏れている方を見ると、じっとしていられないようです。
ズボンの後ろポケットから、長財布が顔を出していると、スリに目をつけられます。
同様なことが起きています。
対策としては、お財布を見えないようにすれば良いのです。
金縛り
昔は、金縛りというと霊的な現象とされていたようですが、現代では医学的な研究により、金縛りは睡眠麻痺によって起るとされています。
意識は起きている状態であるのに、体が眠っている状態の時に起こるようです。
僕もこうした体験は何度かあります。
いずれも、寝不足で体が疲れている時です。
激しい眠気に襲われ、高速のPAに車を止め、眠りにつきました。
そして目が覚め、フロントガラス越しに青空が見えるのですが、起きようと思っても、全く体が動かないのです。
あきらめて、また眠ってしまいました。
またある時、自宅と引っ越し先の行き来を数日続け、寝不足と疲労がたまっていたのでしょう。
2階の床に寝ころび、体を伸ばしていたら眠ってしまい、しばらくして目が覚めました。
その時も、窓から空は見えているのです。
しかし、体は全然動かないのです。
自分の周りを何匹ものすずめが歩き回っているし、バスガイドのような人が階段を上って来るのです。
これは、よくテレビを付けたまま寝てしまい、テレビ番組のような夢を見たことがあるかと思います。
同じように小鳥が外で鳴き、女性の話し声が聞こえただけで、夢を見ている妄想状態で、変なバスガイドまでが、人の家に上がりこんできたように思っていただけのようです。
しかし、こうしたケースではなく、霊的な現象を伴う金縛りもあるようなのです。
僕は経験がありませんが、もっと現実味があるようです。
「幽霊はいない!?」で説明しましたが、霊魂が間気というものを利用すると起り得るのです。
今の世の中は、霊的な現象を否定しようとする傾向にあると感じます。
金縛りも生理現象として片づけられ、スプーン曲げも手品になってしまったし、幽霊も幻覚で、心霊写真は合成、呪いは精神的な脅迫作用とされてしまうようです。
確かに、その多くはそうした理由で、納得できるかもしれませんが、そうでないものの可能性を含めての科学が、本当に科学ではないかと思います。
早計な学者さんがテレビで発言すると、多くの人は納得してしまいます。
霊的なものは物質ではありませんので、存在を証明することは非常に困難ですが、現実として、霊的なことが単なる思想や、宗教に押し込まれてしまうのはとても残念に思います。
さらに参考となるページがありますので、リンクしておきます。
幽体離脱できるのか
霊魂学では幽体離脱や霊能力開発の悪影響を提唱しています。
もちろん否定しているのではく、危険な行為であると考えています。
肉体と幽体は「しっかり密着していることが大事ですよ」と言っています。
幽体がズレる外れるというのは、霊的な病気や障害でしかないのです。
たとえ幽体離脱が可能になったところで、霊的なことに精通している人から見れば、病気を自慢しているようなもので、世間一般には、はじめから認めようともしないし、変人扱いされ笑い者になるだけです。
僕もこうして今、人間は霊魂であるなどと主張すれば、変わり者扱いされるかもしれませんが、それでも大切なことで、理解してくれる人が少なからずいると思うからです。
昔であれば、修行している人は有難がられたようですが、現在は逆に、うさん臭く思われてしまうようです。
それでも何が変わったかといえば、人々の考えや世の中が変化しただけで、霊的には何も変わっていないのです。
「人を殺すと地獄に落ちますよ」というのも、殺人は倫理的にも悪いことなのですが、霊的根拠もあります。
殺す行為というよりも、殺された本人や、その家族等からものすごく強い念が来ます。
それにより幽体が損傷してしまい、地獄とまでは言わないものの、あの世の低い世界に入ってしまうのです。
もちろん、霊的カルマも深くしてしまうことでしょう。
あくまで、これも一つの事例であって、現代のように人間関係も複雑で霊的環境も悪く、ことごとく競争する社会においては、より幽体に悪影響を及ぼす要因が増えているのです。自分は悪いことはしていないから安心だと楽観できないような状況です。
幽体離脱から話がずれてしまいましたが、幽体離脱を試みようとする行為は、霊的に悪影響を与えるだけしかありません。
亡くなられた方は、皆幽体離脱してあの世に行っています。
幽体離脱行為イコール死とは言いませんが、いずれ幽体離脱する時が来ますし、今、無理に人生を棒に振ってしまうことはないと思っているのです。
やっとわかった!生霊から身を守るための対策
昔から生霊という、生きている人間の霊が体から抜け出し、恨みや憎しみを持った相手にとりついたり、災いをもたらすと考えられています。
霊魂学的に考えると、人間のダブった霊的身体である幽体が離脱し、他者に悪影響を及ぼす行動をとることになります。
確かに、幽体離脱は決して出来ないことではありませんが、一時的ならまだしも、常時離脱していたら、本人だって日常生活は送れません。
人間にいたずらをするような低い霊魂も、幽体で活動していますが、直接物質的な影響を及ぼすことは難しく、間気という物質に作用する霊的な気を使って、僅かながら霊的現象を起こすにとどまります。
こうしたテクニックを幽体離脱している幽体が行えるか疑問が残りますし、あくまで幽体であるのだから、物質に作用することは難しいことです。
また、相手も幽視という特殊能力を持っていなければ、幽体という存在を視覚することはできません。
生霊は幽体と考えれば存在し得えますが、幽体が肉体から離れて相手に悪影響を及ぼすのではなく、人の発する念により、悪い影響が起きているのであれば筋が通ります。
タイトル「念の影響」で触れましたが、人間の想いは霊的なエネルギーを持っています。
強い念を発すると、物質とは違い、思った瞬間に相手に突き刺さります。
こうした念により幽体が損傷して霊的不調を起こし、肉体に影響を及ぼすことも考えられます。
低い霊魂が加担すれば、災いを与えることもありますし、さらに強力なものとなったりします。
このような場合は、対策として除霊があげられますが、低い霊魂を排除することは可能かもしれません。
ところが、人の発する念は防ぎようがありません。
恨まれる限り続いてしまいます。
やはり人間同士の和解が必要になります。
ただ、相手と仲直りできたからといって、幽体は改善されません。
これが現実です。
霊術などにより修復しないと、オーラも出なくなって、低い霊魂の目に止まりやすくなってしまいます。
世の中、理不尽な理由で恨まれてしまうこともしばしばです。
たとえ濡れ衣であったとしても、同様なことが起ります。
やはり、霊的なトレーニングにより幽体を強化することが、何よりの防御策ではないかと思います。
幽霊を見る人と見えない人は何が違う?
僕は幽霊を見たり、心霊現象や恐怖体験など全くありません。
なぜか、頻繁に体験する人がいる反面、全く無いというのがほとんどではないでしょうか。
その違いは、霊的な状態にあるといえます。
本来、人間の肉体は物質の世界に相応しい身体です。
人間は霊魂が見えなくて当然です。
だからといって、いわゆる心霊現象もウソや、錯覚ばかりでもありません。
見えてしまうのです。
タイトル「幽霊はいない!?」でお話ししたように、いたずらな霊魂の仕業です。
人間は物質の肉体と、霊的身体である幽体がダブっています。
次元の異なる身体が、常に重なった状態にあります。
どうしてこのような状態を保持できるのかといえば、霊魂学でいう間気(かんき)というものがあります。
幽質でありながら、物質に作用する特殊な気です。
西洋の心霊研究では、身体から流出した間気をエクトプラズムと呼んでいますが、この間気によって幽体と肉体をつないでいるのです。
間気を利用して、霊魂が人の姿を見せたりするのです。
他にも、霊的な金縛りや、音を出すことも可能なようです。
霊魂は肉体がありませんので、人間の肉体は見えません。
しかし、幽体という霊的身体や幽気、間気などがわかります。
こうした心霊現象を頻繁に体験する人は、心の問題とも言われます。
しかし、霊魂は人間の心など良くわかりません。
それよりも、間気が流出していれば真っ先に目に止まります。
人間に、いたずらをしたい霊魂は、たくさんいますので、この間気の流出している人を狙っているのです。
一人の霊魂がイタズラに飽きてもしまっても、別の霊魂の目に止まることで、頻繁に起きることが考えられます。
会員の方で、よく霊的な体験した人がいました。
旅行の先々のホテルで幽霊を見たり、さらには幽霊に足ばらいをされたとも聞きましたが、霊的なトレーニングを実践することで、全く無くなったと言っていました。
霊的な現象でお困りの方は、霊的状態を健全にすることをお勧めします。
ただ、自分はこうした体験は全くないからといって、安心できません。
人間を驚かせたりすることを、楽しんでしいる霊魂ばかりではないのです。
幽霊の目撃談が霊魂の数ではありません。
人が死んで、みな霊魂になることを考えれば、人間に悪影響を及ぼす霊魂が、その一部であっても相当な数といえるでしょう。
人間が気づけないだけで、どなたでも低い霊魂の影響を受ける可能性があります。
そのためには、やはり霊的なトレーニングを行い、幽体を強化して、強いオーラを放って頂きたいと思います。
そうすれば、低い霊魂の目に止まりにくくなり、高級霊の力を得ることにつながります。
見えない世界のことだけに、よくわからないかも知れませんが、霊魂としての人間の霊的成長は、とても大事なことですので、真面目に考えて頂ければと思います。
超常現象、心霊現象を科学で解明できるか?
この前、テレビをつけていたら、NHKスペシャル「超常現象 科学者達の挑戦」という番組をやっていました。
心霊現象や生まれ変わり、テレパシーに最新科学で挑むという試みが、世界的な潮流となっているらしいのです。
民放では、こうした番組は良くありますが、NHKということで、新たな進展があるのではないかと、興味を持ちました。
それでもやはり、たけしさんの番組のような感じでした。
科学者が最新の測定器を駆使して調査していますが、行き着く所は物質の枠から出ることはありません。
物質でないものが幽質の幽気や幽体なので、測定器に反応しないものが霊的世界ではないでしょうか。
調査員が背中に冷気を感じたといえば(霊的現象なのか分かりませんが)動物は恐怖心を感じると背筋の温度が下がり、天敵から身を守る本能が働くという解釈のようです。
また、オレンジ色の丸い光が見えたという件では、脳の電気的刺激を与えると、似た現象が起こるということです。
電磁波で脳を刺激し、こうした現象を引き起こすことがあるようです。
頭をぶつけると、星が見えるの原理ということでしょうか。
確かに、心霊現象といわれるものの中に、錯覚や肉体が引き起こす現象も含まれています。
ただ、霊魂が関与していると思われる現象も存在しています。
番組の中で「我々の目的は、幽霊を見つけることではなく、なぜ幽霊を見てしまうのか?」というコメントがありました。
何となく、霊魂の存在など、はなから認めないような感じがうかがえます。
確かに、物質の科学の進歩は大きいですが、100年前の心霊研究と変わらないというより、タイトル「遺伝子」にもありますが、学者さん達は、答えを物質や肉体に求めてしまい、研究範囲が狭くなっているように感じます。
昔の心霊研究は、霊媒と霊魂の真剣な共同作業で、霊魂学でいう間気の物質化により、様々な現象を引き起こし、学者を交え解析しようという試みでした。
中には、高級霊魂団の関与もあったようです。
インチキを見破ってやろうという批判的な人もいて、過酷な実験だったと想像されます。
もっと、霊的現象はデリケートなものだと理解を持って、人としての霊媒に対するいたわりが周囲にあったなら、こうした研究も大きな価値を持ったかもしれません。
脳や遺伝子の解明は、始まったばかりです。
わからないことは、肉体の謎に押し込んで、いずれ解明されると片付けられている気がします。
霊的世界は、物質ではないものが存在するという観点に立たないと、何も進まないように思えます。
そのためには、霊魂の探求が不可欠です。
しかし、こうしたものは科学的な根拠ではないので、思想という宗教的な分野と捉えられ非現実的とされるのでしょう。
霊魂の存在を当たり前のように思っている者にとっては、現状にスッキリしませんが、仕方のないことのようです。
学者の方々の発言力は力を持つので、こうした方の考えが一般論とされる傾向は、残念に思えます。