神社について

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神社のはじまり

日本人は、古代より太陽信仰を主として山や岩、巨木など、自然の中にある身近な対象物を目印とし、その背後に存在するであろう神々からの力を授かることを考えていたのでしょう。

エジプトでは、ピラミッドを作っていましたが、日本は平坦地が国土の3割です。

山が沢山あるのだから、わざわざピラミッドを作る必要がないのです。

現代では、山の有難みを感じにくくなりましたが、水や食料、木材、燃料など恵みを与えてくれる貴重な宝だったと言えます。

日本人にとって生活する上で欠かせない存在としての山、時には荒々しく、四季の移ろいを映し出したり、日本人の心の拠り所であったと思います。

その中でも美しく、際立つ山は、古くから信仰の対象であったとされます。

そうした、神々との接点としての場所に建物が建ち整備され、神社となっていったようです。

神社の数とコンビニの数、多いのは?

UnsplashKhuc Le Thanh Danhが撮影した写真

以前、テレビのクイズ番組で神社とコンビニの数は、どちらが多いか?という問題がありました。

町中で周りを見渡すと、コンビニが何軒も目につきます。

コンビニなどありえない田舎道を車で走っていると、点々と神社があったりします。

回答は、「JFAコンビニエンスストア統計調査月報」(2023年5月度)では、全国のコンビニ数は5万5742店。

「文化庁 宗教統計調査」2021年12月末時点で、神道系法人数が全国で8万0847です。

ちなみに、仏教系の宗教法人数は7万6699だそうです。

法人数なので、厳密な神社仏閣の数とは言えませんが、この数字より増えると思います。

それでも、江戸から明治において、幾度となく神社合祀(じんじゃごうし)が行われ、統廃合されているのだから、この数は驚きです。

それだけ、日本人にとって密接な関係であったことは間違いありません。

神社が荒れている?

UnsplashMatt Ketchumが撮影した写真

以前、テレビを見ていたら、神社の管理が難しくなっていると放送していました。

おじいちゃんが、大変そうに草刈りや掃除をしていました。

氏子の高齢化により、管理が出来ない状況が出て来たようです。

数年前ですが、僕の叔父から神社のガラガラの鈴、正式には本坪鈴(ほんつぼすず)と言いますが、塗装を頼まれました。

江戸時代に作られたようで、あちこちへこんでいました。

きれいな状態が長持ちするように提案しましたが、「簡単で良い」ということなので、サッと塗装しました。

もちろん、ボランティアです。

お祭りの準備だったのかも知れません。

何をするにも、お金の時代です。

観光客が訪れるような神社であれば、様々に収入を得ることも出来ますが、村の鎮守様となると、維持管理も大変なようです。

建物の老朽化、樹木も手入れ行き届かず、神社に『危険』という看板が立っているのもおかしな状況です。

参拝したら、「怪我をしてバチが当たった」ではさみしいものです。

こうした維持管理の問題は、神社だけでなくお寺でも、同様な傾向だそうです。

神社の役割

このブログでは、霊的なこと主体としているので、そうした角度から考えてみます。

神社仏閣を問わず、長い伝統があるということは、霊的にも価値があると思うのです。

真剣に修行した人が神主や神官となり、仏教なら僧侶、住職が中心となり、そこに訪れる人々が御力を得る。

それが日本古来、本来の姿だと思います。

神社仏閣で活動する高級霊を呼べれば、霊的な気、霊的エネルギーを流そうとしますし、それを参拝者がいかに受け取れるかです。

難しいことはわからなくとも、正しく機能させれば霊的なエネルギーが流れることでしょう。

水道管がつながっているのだから、蛇口をひねることが出来るかだと思うのです。

偉そうなことを言っていますが、僕も苦しい時の神頼みで、学生の時に受験祈願に行きました。

それでも今は、もっと広い視点で考えられるようになった気がします。

聖書にイエスキリスト一行がエルサレムに戻って来た時、神殿がバザールになっていました。

この状況を見て、イエスキリトはブチギレてしまいます。

個人的解釈になりますが、イエスキリトは霊的にはハイレベルだから、自分の為ではなく民衆のための神殿ともいえます。

だからこそ、余計に怒りが込みあげてしまったのかも知れません。

人が商売するのは、一向に構わないと思います。

人間が生きるための当然の行為です。

ただ、神殿の意味が分かっているかと言いたかったのでしょう。

神殿を守る人、礼拝する民衆に意識が欠けていたのだと思います。

神殿なのだから、霊的に高い状態でなければいけないのです。

これは、神社仏閣でも同様なことが言えるのではないでしょうか。

常に、物理的にはもちろんのこと、霊的に祓い清めておかなければならない場所です。

Image by yamabon from Pixabay

本来、神社も鳥居をくぐると霊魂の目に止まります。

すでに始まっていたのです。

そして、参拝の前に手水舎(てみずや)で清めます。

僕が子供の頃は、長い階段を登って、一休みの場所と思っていましたが、参拝前の準備となっていたのです。

拝礼をしたり、拍手をしたり、その作法を高級霊魂が見ていなければならないし、それが合図、約束事になっています。

こうしたことを考えると、現在の状況は霊的にどうなっているのか疑問を感じるところがあります。

「契山館」でも霊的な目印を使い集会を行います。

もちろん、参加者は霊的集会の意味は十分理解しています。

神社が交番になる

昔と少し状況は変わってきましたが、日本の治安が良いというのは、交番の役割も大きいと思います。

交番は明治時代から始まった制度です。

田舎でも駐在さんがいましたし、こうしたシステムは海外でも認められ『KOBAN』が国際語となってきたようです。

神社が沢山あるのだから、そこが高級な場であると、低い霊魂が活動しにくくなります。

高級霊が低級霊を取り締まるわけではありませんが、接点も生まれると思うのです。

死後の世界は、自分が霊的に馴染みやすい場所で生活しています。

そうなると高級霊と低級霊の接点はありません。

この物質の世界には、イエスキリトやお釈迦様が生まれて来たり、低い霊魂や高級霊が活動したりしています。

異なるものが混在しています。

霊的には、特殊な場所でもあるのです。

物質界で暮らした霊魂が死後の世界に、影響を与えてしいます。

良い影響ならば良いのですが、混乱を招いているようです。

興味のある方、水波一郎著「二本足の霊魂」をご覧下さい。

この物質の世界が霊的に良くなることが、大事です。

主導権を握っているのは、今生きている我々人間です。

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