新事実、霊魂学が明かす霊から身を守る法
どなたでも、低い霊魂には寄って欲しくないと思っていることでしょう。
「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」ということわざにあるように、そうした霊魂が、どういった存在なのかを知る必要があります。
人間というものは、霊魂という存在を甘く見てしまうように感じます。
人間に助けてもらいたいとか、頼るとか、すがろうとなど思っていません。
考えてみれば分かると思いますが、人間は肉体に制約されて生きています。
霊魂から見れば、なんて不自由で可哀そうなんだろうと思っていることでしょう。
もちろん、低い霊魂は哀れむどころか、人間をもてあそぶことに喜びを感じています。
幽霊現象などは、まだ駆け出しの低い霊魂の仕業のように思います。
人間が怖がるのを、楽しんでいるだけなのでしょう。
確かに、人間にとっては迷惑な話ですが、自分の存在を気づかせてしまっています。
霊能者に除霊されてしまう危険を伴っていることに、気づいてないのかも知れません。
さらに悪い霊魂になれば、一時的な遊びなどでなく、とことん追い詰めて、人生をメチャクチャしてしまいます。
困ったことに、人間の弱さや、心に潜む様々な性質を知っています。
甘い言葉で近づき、食らいついたら絶対離しません。
人間には霊魂は見えませんので、どなたでも接触している可能性は十分あるのです。
地上をうろつく低い霊魂の数も半端ではなく、霊的環境が悪化すればするほど力を増します。
こうした状況の中「国家という規模で、霊的環境の改善を期待します」こんなことを言うと、笑い飛ばされてしまうあたりが心配なのです。
「霊魂の存在なんて認めない」といった人が増えれば、何をしても、自分の存在など気づくこともないから、低い霊魂にとって好都合になってしまいます。
それでも、いかに環境が悪くとも強いオーラを発していれば、低い霊魂の目に止まりづらくなります。
これが、霊魂学の見解です。
霊から身を守る法を考えてみる
人間と霊魂の違いは、肉体があるかないかです。
低い霊魂は、霊的なものや人間の幽体がわかりますが、肉体がないので、物質は見えないのです。
当然ながら、物質に対する影響力は、ほとんどありません。
こうしたことを考えると、盛り塩やお守りなどはあくまで物質です。
霊魂が嫌がるとか、逃げるとは到底思えません。
物品に霊的な力を持たせない限り、難しいのです。
霊は水場を好むともいわれていますが、幽体の霊魂が、水を欲するはずもなく、あくまで水は物質なのだからわかりません。
例えば、その場が霊的に特殊な状態であれば、近寄ってくることは考えらえます。
また、お経や呪文も同様なことが言えます。
人間の言葉は、霊魂には聞こえません。
心を入れ替えるとか、成仏するとかさせるなど、あり得ないことです。
同じ人間でさえ、他人を説得するのは大変なことです。
そうしたことを考えれば、次元の違う霊魂を諭したり、霊的に向上させるなど、人間にできるわけがないのです。
低級霊が興味を持つ人間とは、超能力や霊能力を求めている人です。
少しでも好奇心をくすぐってしまえば、取り込むことが容易だからです。
また、タイトル「幽霊はいない!?」でお話したように、間気が漏れてしまっている人は、低い霊魂がいたずらしやすい状況です。
霊的状態を健全にさせることも、霊から身を守る方法といえます。
心を変えることで霊から身を守れるのか
タイトル「心の成長」でお話したように、心を変えることにより霊的な面が変化したり、霊的な成長につながるものではありません。
もちろん、心の成長は大切なことでもありますが、低い霊魂が寄りにくくなる要素がありません。
心の強さや清らかさなど、基準があいまいで、見方によっても大きく変わります。
低い霊魂が人間に寄ってくる目的は、人間の心構えや状態とは関係なく、いたずらや思い通りに操りたいなどの影響力を持ちたいのです。
心の基準で判断するのではなく、取り込みやすいか、楽しめるかです。
高級霊は人間の自由意思を尊重しますが、低級霊はおかまいないしです。
こうしたことを考えると、どんな方でも寄られてしまう可能性はありますし、世の中に影響力を持つ人ほど、やり甲斐が出てくることでしょう。
低い霊魂の執念は、人間など比べ物にならないほどです。
この世で肉体を持ち生活する中で、低い霊魂からの干渉を避けることは、人間には難しいことのように思えます。
その実態すら良くわからない状況です。
霊的な存在には、霊的な対応策が必要になります。
人間は低級霊に勝ち目はないのか?
低い霊魂の対処について、悲しいお知らせばかりで大変恐縮でございますが、こんなもので終わらないのが霊魂学です。
低級霊にビクビクしているようでは、何も始まりません。
こうした存在は「恐れず、あなどらず」が肝心です。
そのような低級霊が傍若無人に振る舞うのなら、さらなる一手を打つのです。
盛り塩やお守りもあてにならない、お経も呪文もあまり効果がない。
心の変革も期待できない。
物質的な作用は望みが薄く、相手は見えない存在です。
しかし、我々にも霊魂と同じ幽体があります。
もうお分かりと思いますが、霊的な力、霊力で対抗するのです。
人間には肉体を持っているというハンデがあります。
それでも、霊的な進歩向上という正しい道を歩む者には、高級霊が手を差し延べてくれます。
正しい道を阻む者は、邪な道です。
低い霊魂は、人間を間違った方向に進ませようとしています。
何も知らない、気が付けないことを幸いに、やりたい放題です。
人間は、もっと憤りを感じても良いと思うのです。
もちろん、高級霊も人間の自由意思を尊重しているので、黙っていては力になれません。
まずはオーラを強く発し、高級霊と交流することが大切です。
そうすれば、高級霊も力になってくれることでしょう。
強いオーラを発していれは、低級霊からは見えにくくなってしまいます。
霊的世界は、霊力が物をいいます。
たとえ肉体を持っているというハンデがあったとしても、霊力次第で対抗できるのです。
上級の霊的なトレーニングをこなした人になると、霊縛(れいばく)といって、一時的に霊魂の自由を奪ってしまう霊術さえ行使できるのです。
求めるべきものは、霊能力ではなく霊力です。
霊力があれば、低級霊になど負けないのです。