霊魂学

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近道が好きな方への霊魂学

UnsplashRomain Virtuelが撮影した写真

世の中には霊的世界、霊魂についての主義主張がたくさん存在します。

何が正しくてどれが間違いであるのか、その判断が難しいと思います。

特に霊的分野というものは、真偽の確証を得ることが困難です。

現代はマスコミの影響が大きく、テレビなどに出演する有名な方の発言が力を持つようです。

霊的なことにとどまらず、医学や科学などにおいても、仮説や一部好影響があったという段階にもかかわらず、確信を得ているような主張をされている方がいます。

我々素人は、肩書を信頼しているわけですから、責任を持った発言が求められます。

それでも、資格を持ち、専門分野の勉強や研究をされている方ならまだ安心なのですが、霊的な分野となると、素人が突然霊能者や霊術家になることも可能といえます。

これが一思想にとどまらず、健康や、医療という分野にまで踏み込んでいるのも現実ではないかと思います。

正しい知識や認識もないのに、人間にとって大事な『気』というものを安易に操作しているのが実状のようです。

霊魂学でいう幽気、間気の違い、性質や役割、肉体と霊的身体の相関関係、そうしたことを考えず、まるで気の力は万能であるかのような表現はおかしいと思います。

オーラや守護霊も単なる流行語となり、訳がわからなくなっているし、気の技も流行によって横文字を使ってみたり、適当に用語を組み合せたり、看板を変えただけで、行っていることは、昔とちっとも変っていないのです。

こうした中、霊魂学は真面目に霊的分野の追究、検証を行っています。

過去の文献を調べたりするのでなく、直接高級霊に聞くという手法を用いますので、日々進化し続けております。

一刀両断、霊魂学が霊的世界の謎を斬る

Image by Juraj Varga from Pixabay

このブログで紹介している霊魂学は、水波一郎師が、直接霊魂に聞くという手法により、成り立っています。

人間の頭で考えても、決して分かることのない霊的事柄を探求します。

世の中には、霊魂と交流できるという人は確かにいますが、霊魂も様々です。

人間でも、子供から大人までいますし、さらには専門的知識を持つ人もいます。

同様に、どんな霊魂に聞くかが、ポイントとなります。

タイトル「真実を解明するための霊的なトレーニング」でお話したように、霊的に成長している霊魂と直接交流するためには、霊的なトレーニングが欠かせません。

こうして高度な霊的トレーニングを行い、霊魂から直接聞くことが出来るようになると、今までわからなかったことまで解明されてきます。

例えば、世の中には霊魂を語る人はたくさんいますが、肉体とダブっている幽体の状態など、ほとんど触れられないのが現状です。

霊的身体や、気の種類などは、心霊研究において発表されておりますので、参考にする人は多いと思います。

ところが、そうした研究も、まだまだ漠然としたもので「こうしたものが存在しているようだ」という段階だったのです。

水波霊魂学ではさらに踏み込み、気というものには種類があり、こうしたものが霊的身体にとって、どのような役割りを果たし、どのような影響があるのか。

また、人や霊魂の発する念という霊的エネルギーには、どのような力があり、どういった作用や関わりを持つのか。

こうした点にも、メスが入っています。

一般的な学者さんなどは、様々な過去の文献や、既存の情報を調べて検証するのでしょうが、どうしても、人間の頭で考え判断してしまいます。

すると物質的な発想による妥当性、という偏った結果につながることも考えられます。

水波霊魂学の場合は、直接霊魂に聞くことが出来るので「とにかく霊魂に聞いてみる!」それを検証することが、可能なのです。

臨死体験、幽体離脱の証言を集め、死後の世界を解明するより、他界した霊魂に聞くことが出来れば、信憑性は明らかです。

世の中「霊魂などと交流できるわけがない」と考えてしまうから、いつまで経っても、堂々巡りになってしまうのです。

霊魂同士が想念、インスピレーションで会話しているのだから、人間にも霊魂と同じ霊的な身体が備わっています。

これを使わない手はないでしょう。

あとは、肉体にどう伝わるか、伝えるかです。

これが整い可能となった時、高貴な霊魂の思想をも表現できるようになるのです。

困難であるけれども、決して不可能というものではないことを、多くの方に知って頂きたいと思います。

雑味のない霊魂目線の霊魂学

Image by Aquilatin from Pixabay

霊魂学というものは、宗教的な教えのようなものではありません。

人間の本質である霊魂というものを分析したり、霊的世界の法則や、実態を解明するものです。

一般的な宗教教義とは異なっています。

例えば、善いことをすれば天国に行き、悪いことをすれば、地獄に行くといった抽象的なものではなく、まず霊的世界はどうなっているか。そこに上下があるのなら、どういった法則で成り立っているのか。

人間は、どう対処すれば良いのかを追及するのです。

善いことを行うとか、自分を律するといった行為により、心を変えることが、霊的成長であると考える人もいます。

霊魂学では、心の成長がイコール霊的成長につながるものではないと主張しています。

まず、霊的成長がどういったものであるかを考える必要があると思います。

ところが霊的なことなので、人間には見えないし頭で考えてわからないのです。

しかし、霊的世界には霊的に成長した霊魂と、未熟な霊魂がいるのです。

その違いを探ることで、霊的成長や、その必要性も明確になります。

気象学において、昔の天気予報は外れることが多く、占いのようなものでしたが、統計学に加え、コンピューターによる解析、雨雲レーダーや、気象衛星という技術革新により、詳細なデータが得られることで、飛躍的に進歩したように感じます。

地上から空の様子を判断していたものが、視点を変え、上空から眺めることが可能になったことが大きいと思います。

霊的、宗教的分野においても、こうした技術革新があって良いのではないでしょうか。

人間目線ではなく霊魂目線で視る。

それが、霊的なトレーニングから生まれた霊魂学のように思えます。

神様は人の形をしていない!?

Image by NoName_13 from Pixabay

人間というものは、勝手な思い込みで生きているのだなと感じます。

むかし僕は、神様は人の形をしていると思っていました。

もちろん、皆さんの中にも、そう考えている人は多いことでしょう。

また、男か女であるとか、性格などもイメージづけてしまいます。

実は、人間は誰も神など見たこともないのです。

霊魂学的には、霊的生命体の中で一番上の存在を、神霊と呼んでいます。

人間とどこが違うのかといえば、身体です。

人間は死後、幽体という霊的身体で活動します。

さらに成長という進化すると霊体という身体の存在がいます。

もう、この辺りの存在は神のようですが、もっと上には、神体という神霊が存在するようなのです。

肉体を持つ人間が神になったとか、神と交流しているのなど、人間が軽々しく語るような存在ではないのです。

僕が霊的なことに興味を持った頃、いろいろな霊能力者の本を読みましたが、平然と神や仏と交流していると言う人が多かったことを思い出します。

その頃の僕は霊的な知識など全くありませんでしたが、言っていることが極端過ぎると、このど素人の僕でも感じたのです。

その中で、水波一郎師の本が論理的で自分が納得できるというか、すうっーと馴染みました。

話を戻しますが、人は元々は霊魂です。

肉体に生まれるからこそ、幽体という身体が、肉体と共に形成されるのであって、肉体は、この物質世界に適応した形でしかないのです。

人間が霊魂になれば、姿を変えることもできるようです。

もちろん、霊的世界は環境が全く違うし、人間の想像もつかないような世界です。

確かに、僕も神様の姿を見たことはありませんので、偉そうなことは言えませんが、神様は人の形をしているわけがないと考えます。

極端な話になってしまい、こんなこと考えているならトレーニングしろと怒られそうなので、この辺で。

ちょっと背伸びをして、人間の人生について考える

Image by NoName_13 from Pixabay

人間の人生というものを考える時、通常は、この世に生まれてから死ぬまでを指します。

この人生という中で、自分自身では、どうにもならないようなことがあると、人は運命というものを感じます。

ところが、運命とは結果論であって、現象の分析でしかありません。

単に結果を見て論じているだけで、運命というものをつくり出す原因にたどり着くことも出来ません。

そしてそれは、神の定めとか、持って生まれたものと考えるのでしょう。

人の人生というものが、仮に全て決まったものであるとするなら、選択も自由もない成るがままでしかありません。

ところが、それでも自由があり、人は選択して生きています。

それでもなお、自分ではどうすることも出来ない、人生を動かす何かが、存在するのではないかと考えられてきたと思えます。

しかし、明確な回答を得ることはできなかったようです。

それは、肉体の脳を研究したり、哲学というような人間の思考から答えを導き出すにとどまり、自分自身、人間のことすら良くわかっていないのが現実です。

こうしたことは、いろいろ論じられて来ましたが、真実は、すでに大昔からわかっていたのです。

その答えを知るのが、高貴な霊魂だったのです。

キーワードは、霊魂なのです。

そうした高貴な霊魂と交流出来る人が、いわゆる神人と呼ばれるような、お釈迦様やイエスキリストだったのです。

ところが、宗教といったくくりになってしまい、単なる一思想としか扱われていません。

現実に聖書や仏典を読んでも、抽象的な解釈にとどまっているし、教えといった道徳的な観念の方が、色濃いように思えます。

もちろん、辛いとき生き方に迷った時、参考になることもあるでしょう。

しかし、それは生き方の方策に過ぎず、霊魂という、もっと大きな視点での人間の変化には、つながりにくいのです。

だからこそ、霊魂学を多くの方に知って頂きたいと思っているのです。

通常の宗教にない、現代人でも十分納得できる論理的な考察ではないかと感じます。

もちろん、読んだだけでは知識にとどまりますが、まずそこからが始まりです。

霊魂は、ほんの数十年では消えないのです。

肉体の人生が全てではなかったのです。

死んでもなお生き続けます。

霊魂によれば、人が幸福を求め、もがけばもがくほど、霊的に下がってしまうと言っています。

それは幸福という観念が、霊魂というものに根差していないからともいえます。

霊魂は死にませんので、高貴な霊魂の中には、人類の歴史を見続けている霊魂もいるようです。

肉体の思考では、到底わからないような人類の誕生、こうしたことも把握していますし、現状のように人々が物質的な考えを重視するようになり、霊的環境が悪く邪霊が力を増す、こうしたことも予測していたのかもしれません。

だからこそ、神伝という霊的なトレーニングが生まれたのでしょう。

こうした霊魂から学ぶこと、そして力を得ることが、霊的に未熟な我々人間にとっての光といえます。

霊魂としての人生を正しく捉えることが、結果として、今の人生につながるのではないでしょうか。

霊魂学を学び、霊的なトレーニングを実践してきた僕の率直な感想です。

難しい話になってしまいましたが、霊魂学というものは、宗教の一思想ではなく、霊魂の探求学として捉えて頂きたいと思っています。

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