これだけは押さえたい8つ秘訣
霊的なトレーニングには欠かせないポイントがあります。
間違ったトレーニングは大変危険です。見えないだけに恐ろしい世界ともいえます。
正しい霊的トレーニングを知ることで危険を回避することにもつながります。
1、霊的トレーニングの目的をしっかり定める
人はそれぞれ様々な希望や願望があることでしょう。もちろん、夢や希望を持つことは良いことです。そうでなければ空しいだけの人生です。ただ、そうしたことを霊的な力で叶えようなどと思ってはいけません。「甘い話には罠がある」という言葉の通りです。正しい霊的トレーニングは、霊的な成長、進歩向上のために存在します。
2,より高い気を求める
肉体は食物を食べないと生きて行けません。しかし、偏った食事ばかりだと健康を害してしまいます。同様に、霊的な身体である幽体は霊的な気、幽気が栄養になります。そして、より良い幽気を取ることが霊的な健康につながるのです。
3、信仰心がなければ成り立たない
高い霊的な気は、どこにでもあるわけではありません。実は高貴な霊的存在からの流れなのです。そうした存在を無視しては得ることはできません。
4、人間ではない家庭教師を頼もう!
霊的なトレーニングは霊魂の協力があってこそ力となります。人間の霊的成長を願う霊魂に来てもらうしかないのです。
5、霊的な健康でオーラ倍増
霊的な身体である幽体が健全であると、そこから人間の目に見えないオーラが強く発します。それが高級な霊魂の目印となります。また、人間にいたずらをしようとする迷惑な霊魂からは、見えにくくなるのです。
6、作法や動作をあなどってはいけない
霊的なトレーニングというものは、作法や動作があります。それは、力を与えようとする霊魂との約束になっているのです。ひとつひとつの作法や動作に意味があり、正しく行うことがとても大切です。
7、カルマを解消してスッキリ!
人は何度も再生しています。楽しいことや辛いこと、悲しいこと、たくさんの経験をしています。もちろん明確な記憶はありません。それは深い意識だからです。それでも知らず知らずのうちに今の自分を動かしています。こうした深い意識変革が人生を変えるのです。
8、霊力をつけよう
霊力とは霊能力とは異なります。霊魂としての自分が霊的進歩向上に向け動かし得る力といえます。霊力があれば、高級な霊魂とつながりやすくなるし、正しい霊的な判断、本物を見抜く力がつきます。
簡潔に説明しましたが、この後もう少しわかりやすく具体的に、お話したいと思います。
気になる霊的な気
霊的なトレーニングに欠くことができないもの、それは霊的な気です。
霊的な気は物質でないため、その実体を理解している方は、非常に少ないように感じます。
霊的な気の中で、いちばん身近な幽気について、お話したいと思います。
幽質の世界にある気を、幽気と呼んでいます。
私達が住んでいる物質の世界も、幽質界の一部です。
ここにも幽気は存在しています。
同じく人間が死後、生活する世界にも幽気があります。
また、人間の肉体とダブっている幽体内にも幽気があります。
肉体が死を迎えると、今度は幽体で活動することになります。
さて、昔から死後の世界は天国と地獄があって、良いことをすると天国に行き、悪いことをすると地獄に落ちると言われています。
となると、死後の世界は、善悪で成り立っていることになります。
ところが、地上における善悪という観念と異なった法則が、死後の世界にあるようなのです。
幽界の上の方では、幽体の質も高く高級な気があふれているのに対し、下の方では幽体の質も低く、それなりの幽気しかありません。
もちろん高い世界と低い世界、そこで生活している霊魂の心や意識の違いも当然あるでしょうが、決定的な違いは、幽体および、環境に大きな差があったのです。
そこで、私達は死後どこに行くのでしょう。
それは霊的な法則に従い、自分の幽体が馴染みやすい、その質に相応しい世界に入るのです。
今、幽体を成長させるか、しないかで、死後の人生を大きく左右させてしまうのです。
霊的トレーニングによって、幽体の質を向上させるためには、その栄養となる高い幽気が必要なのです。
ところが残念なことに、地上のある幽気も、それなりの質でしかなく、高級な幽気が、自然と入ってくるわけでありません。
ご自身が求めない限り得ることが難しい、そうした気なのです。
信仰心と霊魂の援助が力となる
霊的なトレーニングに不可欠な高級な幽気。
それは自分で求めなければ、得られないと言いましたが、ただ単に瞑目しても、それは絵に描いた餅でしかありません。
そこで、高い幽気を引きつける工夫が必要なのです。
高級な霊魂には、霊的な質の違いから、人間の様子がよくわからないのです。
そこで高級霊にわかる目印をつくるのです。
物質は霊魂に見えませんので、昔から山や石、樹木や鏡など、相応しい物品に霊的な力を持たせ、そこに降りる高い気を得ていたようです。
神社などでは、ご神体、神器を使い、霊的なトレーニングを積み、強くオーラを発している人が中心となり、そこに人々が集い、幽体に良い栄養を得ることが出来たようです。
契山館でも、こうした霊的集会を行っています。
では、家庭で行う場合は、どうしたら良いでしょうか。
ただ祈っても瞑想しても力が小さい。
そこで家庭教師を頼み、幽体の栄養となる高い幽気を宅配してもらうのです。
もうお分かりかと思いますが、なぜ信仰心が必要なのかといえば、自分が未熟であることを自覚し、高貴な存在に援助を求めるのですから、当然のことといえます。
動作、作法を霊魂が見ている!
霊魂は肉体がありませんので、人間や物質を見ることが出来ません。
それでも、肉体を持つ人間にも幽体があり、そこから発するオーラや幽気がわかります。
また、霊魂同士であっても、霊的な隔たりがあると、なかなか通じ合うことが出来ないようです。
最近は、あの芸能人はオーラが強いとか弱いとか、存在感や目ヂカラを指すようなのですが、ここで取り上げるオーラは、幽体から発する、人間には見えない、霊的な光やエネルギーのようなものです。
例えば、電球は汚れていると、本来の光を放ちにくくなります。
幽体も様々な要因で、オーラが弱かったり出ていないと、高級霊にとっては視覚しにくくなり、反対の低い霊魂の目に止まりやすくなります。
霊的な技術に、祓いや治療というのがあります。
汚れた電球を掃除して、本来の輝きを取り戻すようなもので、幽体に付着した汚れた幽気を除去したり、損傷を修復して、本来のオーラを発することが出来ます。
霊的トレーニングとは、さらに高度になります。
それは、幽体そのものを変えてしまうからです。
電球そのものを、強くしてしまうのです。
以前は40ワットだったが、霊的トレーニングを行うことで100ワット、200ワットになるのです。
霊的トレーニングを行うにあたり、動作、作法が大切なのです。
霊魂とは、人間同士のような交流は出来ません。
そこで肉体とダブった幽体に動きがあると、オーラが変化します。
霊的トレーニングは高級霊に、しっかりとした霊的な信号を発していないと、力を持たないといえます。
ほとんど知られていない霊的な身体の不調
人間には、肉体とダブった幽体と呼んでいる霊的な身体があります。
肉体と同様、ケガや病気のように、好不調や不具合も起きたりするのです。
霊的な障害というと、霊魂のたたりや悪い霊魂がついているとか、霊魂の影響だけを考えがちです。
確かに、中にはそうした人もいるでしょうが、人間に人間関係があるように、それは霊魂との関係であって、幽体の質であるとか、状態とは異なっています。
もちろん、霊的な悪い作用があれば、結果として幽体にも影響してきます。
この幽体も、人の発した念によって、ケガを負ったような状態になったり、幽体内の幽気の状態が不調の方もいます。
肉体に例えると、血液が薄ければ貧血ですし、流れが悪ければ血行不良、体力がなければ、抵抗力や免疫力が低下してしまいます。
霊的な状態は、肉体への影響も見逃せません。
霊的不調が起因し、結果として肉体の病気につながる場合もあります。
これも原因不明の不治の病というものではなく、明らかに通常の病名がつく病気であっても、霊的不調や障害が原因で、時間をかけて肉体の病気として現れたりします。
また、肉体と幽体を結びつける霊的な気、霊魂学では間気と呼んでおりますが、間気が不足したりすると、肉体と幽体がずれやすくなり、ケガや、いたずらな霊魂に侵入されてしまうことにもつながります。
幽体が健全であることで、肉体にも好影響を及ぼします。
ヨーガや仙道も本来、霊的なトレーニングの体系です。
肉体のみ着目するのでなく、霊的な身体を含めての健全や、成長あって欲しいと思います。
人生は変えられるのか?
「人生を変える」などというと、心理学的な潜在意識の活用とか、心の転換などを想像する方も多いと思います。
人間は、肉体的にみれば、親の遺伝を受け継いで生まれて来るのですが、霊的には幽体というものがあります。
これが人間を複雑にしているのです。
幽体の意識には、幾度となく地上に生まれ、様々な経験や記憶が眠っています。
こうした意識が、人生を共に歩んでいると考えて頂ければ良いと思います。
もちろん、良い部分も当然あるでしょうが、人類の歴史を振り返れば分かるように、争いや差別が絶えたことはありません。
強い側にいたり、弱い立場だったかもしれません。
男女によっても異なるでしょう。
こうした記憶が、物事に直面した時、思考や選択、行動に強い影響力を持ってしまうのです。
もともと、長い魂の歴史の中で、強い印象として残っているものですから、激しい感情を持っていると容易に想像がつくと思います。
本来、何事も理性的な判断、行動を心がけるべきなのですが、強い感情に動かされ衝動的となってしまうのです。
こうした深い意識を否定しようとも、やはり幽体の意識も自分であるし、社会や他人のせいにしたところで、苦しいのは自分自身です。
幽体の意識は、ひとりひとり個性が違うように、持っているものが異なります。
いくら表面的な心の転換を唱えても、簡単に対処できるものではありません。
ある人にとっては何でもないことであっても、別の人では、大きな障害となる場合もあります。
自分を押さえつけ、ストレスをためてばかりでは、何の解決にもなっていません。
人生において、大きな間違いや失敗を犯すであろう心情があるなら、事前に改善すれば、人生が変化し、霊的な意味での成長にもつながるのです。
聞きなれない言葉 “霊力” その正体
霊能力はよく耳にしますが、霊力はあまり聞くことがないと思います。
霊力というと、霊能力と勘違いされる方もいらっしゃるでしょう。
霊能力とは、普通の人では出来ないようなことをする能力、技術のようなものだと考えて頂ければ良いと思います。
霊能力は特殊な能力なので、無くても全く構いません。
むしろ安易に求めることは、とても危険です。
霊能力については別の機会に触れるとして、霊力とは、肉体で言えば体力のようなもので、動く力が弱ければ、それだけ不自由になってしまいます。
霊力とは、人間が霊魂として、本来持つべき霊的な基礎体力のようなものです。
自分を霊的な進歩向上に向けて、動かし得る力といえます。
こうした力はどなたにもつけて頂きたい力なのです。
それは人間が、霊的生命体であるからです。
タイトル「遺伝子」の中で、小さな種が生まれていたと言いましたが、肉体が死を迎えるまでに、その小さな種をしっかり成長させることがとても大切なのです。
この世は肉体で生きています。
肉体の質や状態で、人生は大きく左右されてしまいます。
死後は当然、別の身体がなければ生き続けることは出来ません。
それが幽体という霊的身体です。
物質のこの世は、幽体には悪い影響ばかりです。
発芽しても日陰育ち。
根も張らず栄養は少なく、葉は虫に食われてしまう。
このような状態で、死後の世界に入らなければならないのです。
本来栄養となる強い日光に当たれば、すぐ枯れてしまいます。
そうなると死後暮らす世界は、日光がさえぎられたような場所に決まってしまいます。
今この物質の世界で生きている間に、幽体をしっかり育てることが大事なのです。
根もしっかり張って、茎も太く葉は虫が寄りづらくしておけば、準備オッケーということになります。
死後の世界において、どんどん成長することでしょう。
霊的カルマ
霊的なトレーニングを語るうえで、霊的カルマというものは避けて通れません。
師の著書「霊魂学を知るために」(現在廃盤)に「カルマの問題は、本格的に書くと優に数冊の書物が出来てしまう」とありました。
それだけ難しく、とても複雑なものなのです。
タイトル「人生を変えられるのか?」で触れましたが、肉体とダブった幽体にも意識があり、過去、何度も物質の世界に生まれた経験や記憶を有しています。
赤ちゃんであっても、すでに霊的カルマを持っており、それが成長するに従い、人生に影響を与え、幸、不幸をつくって行くのです。
つまり霊的カルマを知ることにより、将来が見えて来るのです。
ただし、あくまで要因であり、変化する可能性も当然ありえるものなのです。
そのまま表現されれば、運命とか宿命と呼ばれるのでしょうが、それは結果論であって、回避できる可能性もあると理解して頂きたいと思います。
この霊的カルマの存在は、すでに大昔の人は理解していて、さらに解消する手段も考えられていたのです。
それが現代に蘇った神伝禊法という霊的なトレーニングなのです。
神伝禊法は単に霊的カルマの解消だけにとどまらず、自分自身の高級な意識を引き出すことも可能な、たいへん奥深い体系なのです。