「神託の女王:むかしむかしの霊的なお話2」に続き、第3弾となりますが、タイトルからは残酷な物語かと思いましたが、「神託の女王:むかしむかしの霊的なお話2」と異なり、ハッピーエンドで終わり、スッキリとした気持ちになれます。
今の政治家や官僚も、この話に出てくる役人達と変わらないのが残念に感じます。
それでも、真面目な人、勇気のある人がいて、龍神様の助言が加わり、より良い社会変革につながったことは、とても良かったと思います。
生贄というものは、何のためにあったのか疑問が残ります。
自ら、自分の命と引換えに多くの人を助けたいと祈願するというのであれば、何となく理解できますが、嫌がる人の命を捧げて、自らの幸福を願うことは、おかしな慣(なら)わしに感じます。
もちろん、神様が要求するとは思えません。
それでも、古代の人々は天災などが起これば、神の怒りや自分の罪の結果であると感じて祈っていたようです。
それが正しいのかは別としても、現代人には薄れた純朴な信仰心がありました。
こうしたものが時代と共に変化し、権威誇示や人間的な勝手な解釈により、生み出されたのかも知れません。
また、この騒動で、おみつさんは龍神様の考えやお言葉を表現し、まるでシャーマンのようにも思え、頼もしくなってゆきます。
昔は御神託とか啓示、神懸かりといった神様のような霊的存在のお告げを受け、大所高所といった人間では及ばない観点のアドバイスを活用していたとするなら、現代とは異なる、まともな社会であったことでしょう。
霊魂学書籍のご紹介
たましいの救い - 人は表面の心だけで生きてはいない 水波一郎著
人は誰でも悩みや苦しみがあります。そんな時、救いという言葉が身近になります。 悩みがある時、人は友人や両親、学校の先生や先輩に相談するのかもしれません。ですが、そうした人々では、難しい相談内容であったり、あるいは、適当な相談相手がいない時、人は神様に救いを求めるのかもしれません。 いずれにしても、人々が救って欲しいのは心なのでしょう。ですが、霊魂に聞きますと、心は魂という大きな意識のほんの一部だと言うのでした。 なぜならば、人間は霊魂として、霊魂の世界で生きていた頃の心をも背負って、再び、この世に生まれているから、ということでした。今、この世で、数十年間生きた経験しかない心は、魂の全体ではないのだそうです。 では、そんな大きな意識である魂にとっての救いとは、一体、何なのでしょうか。


